出産当日
私達の出産は逆子のため帝王切開。
そのため出産当日は
AM8:00 出産前の妻に面会(コロナ対策のため夫の面会も数分間だけと決まっている。)
AM9:00 出産へ
という予定がくまれている。
おかげで「突然、妻が産気づいて…」という状況に夫があたふたする経験はしないで済む。
そのかわりに前日から心配と不安と緊張を思う存分味わうことになるのだが……
結局、一睡もできないまま当日を迎えた。
私の心配事
出産に向けて私の心配事の97%は「無事に生まれますように」ということ。
あとの3%は「くるっと動かないでくれ」という逆子についてのことだった。
出産方法は逆子が理由で帝王切開になった。
なので、お腹の中の子がくるっと動いて、逆子ではなくなった場合、手術は中止となるらしい。
手術の予定日が決まった約1ヶ月前から妻も私も、この日に向かって気持ちを高め、準備をしてきた。
今更延期ってことになっても……ただ、それはお腹の中の子が決めることなのでどうしようもない。
くるっと動いたら仕方がない。
妻に面会
出産直前の数分間だけ妻と面会した。
心配事の3%の逆子問題は、検査の結果、くるっと動いていなかったようで、予定通りに帝王切開での出産が決定した。
こうなると、残りの97%の「無事に生まれますように」で頭がいっぱいになる。
出産を控えて不安な気持ちなのは妻の方だ。
夫としてやるべきことは、妻を安心させること以外には無い。
わかっているけれど、昨晩から時間をたっぷり使って不安に押しつぶされた結果妻と2人で大きくなったお腹をさすりながら、お腹の中の子に声をかけたり、無事に生まれることを祈るしかできなかった。
出産
予定通りにAM9:00から手術が始まった。
手術中の私の頭の中は「無事に無事に無事に……」ということ以外何も考えていなかった。
あれこれ考えだすと、不安なことがいろいろ思いついてしまっておかしくなりそうなので、頭の中を「無事に」で埋め尽くすしてなんとか冷静さを保っていた。
本当は「怖いよー!」って叫びたいくらい、体だけではなく頭の中から震えてた。
我が子と対面
AM9:40
看護師さんたちがざわついている。
それを見て生まれたことを理解した。
しばらくすると分娩室のドアが開き、
そこには我が子がいた。
2900gの男の子。
手足をバタバタ、目をキョロキョロ、小さくて、なにより細い。
ようやく会えた。
ここまで少し時間がかかったけど、ずっとこの時を待っていた。
はじめて我が子を抱っこした瞬間いろいろな思いが溢れてくる。
感動に浸っていると、我が子がじーっと私のことを見つめていた。
目が合うことに驚いたが、なによりその眼差しが「お前が父ちゃんか?大丈夫かな?頼むよ……」と伝えてきたような気がしてくる。
正直言うと私自身も私の事が心配だ。
それでも息子には「心配するな」とだけ目で伝えておいた。
妻と対面
はじめて息子をだっこして数分、看護師さんから産まれた時の泣き声が弱く呼吸も浅かったので保育器で補助が必要だということを聞かされた。
ただ、何か悪い症状があるということではなく、帝王切開ではよくある状態で心配はいらないらしい。
我が子と入れ替わりに妻が運ばれてきた。
はじめて我が子を抱っこしてテンションが上がってる私は、麻酔で意識がハッキリしていない妻に向かって感謝と溢れる思いを一気に流し込んでしまった。
意識がはっきりした後でその時のことを確認したけど、私が言ったことをほとんど覚えていなかったので、帝王切開後の妻への感謝は意識がはっきりした時にゆっくり伝えるべきだということを学んだ。
家族
我が子が誕生し3人家族になった。
ところが、我が子は保育器へ、妻は術後で安静に、私もコロナ対策のため病院にはいられない。
家族3人が揃うことはもうしばらくおあずけとなった。
私は父になった。
子供が生まれたら、喜びや親になった責任で得体のしれないエネルギーが湧いてきて「こんな父親になりたいな」っていう理想に向けての一歩目がはじまるような気がしてた。
ところが、その時を迎えてみると無事に生まれたことに安堵すだけで、「よかった」とつぶやき続けて1日が終わっていた。
生まれる前は無事を願うだけしかできず、生まれたあとは安堵するだけ。
私がなりたい父親とは真逆の父親。
自分の器の小ささにがっかりする。
それでもやっぱり「母子ともに無事でよかった」